無坂の略歴紹介

無坂(MUSAKA)

 探偵業、大手損害保険会社、大手不動産会社と華麗に転職し、営業本部長兼総務部長、取締役営業本部長等を歴任しています。

 ですが、会社組織の不自由さと理不尽さ、そして自己献身の無駄遣いに嫌気がさして独立しました。どうせやるなら「自分のために頑張ろう!」・・という感じです。

 現在は不動産会社を経営。会社員時代の経験を基に、「不動産経営は手抜きできない」「賃貸住宅の未来は」「新卒社員の研修ノウハウ」「社員の育成は個性の配置から」などなど、議題に合わせてまじめな事からストレス解消話まで執筆と講習なども行っています。

出身地

 静岡県 // 生れは千葉県(1歳まで)→東京都(3歳まで)→静岡県(以降はここにいます)

生い立ち

 静岡に越してから父親に山歩きを半ば強要され始め、4歳から6歳までに天城山、愛鷹山塊を始め、静岡、山梨、神奈川の山々を連れまわされました。でも本人としては冒険、探検みたいで大満足でした。

 7歳で父親と富士山へ。高山病も全くなく、奇跡的に初トライで登頂に成功します。きっと当時の小学校が遠く、毎日片道1時間かけて登校していたので基礎体力がついていたんだと思います。すごく田舎であったため、登下校時には鹿、猪に遭遇したりしました。

 8歳から10歳までは父親に山中でのキャンプ?(ほぼ野営)を仕込まれます。山歩きをして野宿する場所を決めて、水の確保、食料の調達(山菜や果実の採取、魚釣り)をして簡易テントで眠る、というキャンプです。おかげで山菜やキノコに詳しくなり、魚を捕るための簡易な罠や竿の作り方を覚えました。ナタとナイフの使い方も叩き込まれました。

 虫(いわゆる害虫や毒虫)や蛇(マムシ)などの知識も教えられ、妙にサバイバルだなぁと気づき始めたのもこの頃です。父親は、とにかく「タフな男」になってもらいたかったようでした。

まさかの0合目富士登山

 10歳になった夏、まさかの0合目富士登山に連れ出されます。野宿セット?をかついで樹海?で野営しながらの3泊4日の行程です。食料も当然ながら自給自足という荒行で、体力があまりない状態で山頂を目指したのできつかった思い出があります。それでも何とか登頂しましたが、いかんせん帰りがとても大変でした。0合目まで戻るのに長かったなぁ。。おなか減ってた記憶がすごく残っています。

伊豆半島1周自転車の旅

 11歳の夏休みの事でした。小学校卒業記念というよくわからないイベントを親友と勝手に企画して、2泊3日の伊豆半島1周サイクリング旅行に挑戦しました。

 まさかの父親不参加で企画倒れかという大ピンチでしたが、自転車好きの親友と、その親友の紹介で競輪選手を引退した2人が一緒に行ってくれることになり、ものすごーく楽しい楽しいサイクリング旅行が実現しました。いっぱい自転車に乗ってお尻が痛かったけど、本当にいい思い出です。

田舎育ち

 静岡は父親が気に入ったみたいで、その後は引っ越す気もなかったようです。でも本当に田舎育ちになってしまいました・・。学校の行き帰りに鹿は十数回遭遇、猪は3回かな?、あと野犬みたいな犬にも数回遭遇しました。

 今思えば怖い通学路ですが、当時は全く怖くなく、蛇を捕まえたり山菜を採って帰ったり、晩御飯のおかずをよく探しながら帰っていた気がします。家の玄関のドアノブに蛇が巻き付いていて、それを捕って投げて、ということもしばしば。

 寝ている最中に天井の梁から蛇が見ていて舌を出していることもありました・・。

山火事

 13歳までに2度の山火事を経験しています。2度とも家の裏山です。1度目は自分と近所?になるのか?比較的近くに住んでいた同級生と爆竹をやっていて枯草に火がついてしまった、ということが原因です。幸い家も被害なく済んだのですが、当然田舎に消防車が数台きて大騒ぎとなり、ホントにこってりと叱られました。

 2度目はどこの誰かもわからない犯人がいたのですが、タバコの投げ捨てが原因です。これまた大騒ぎで、自分も水道用のホースで家に水をかけて火の粉を払いましたが、これぞホントの焼け石に水。消防の方々の懸命な消火活動によって、またもや自宅は救われました。

ヒグマに遭遇

 中高時代もたくさんの事件事故がありました。なかでも一番怖かったのはヒグマ事件です。高校卒業で友達と2人、中古のフィアット500を買って「ルパン三世のカリオストロの城」みたいな旅をしようと北海道へ出かけます。貧乏なのでオール野宿の自給自足の旅でした。

 北海道の大自然を10日位かけてまわっている最中のことですが、山中でのキャンプ地にまさかのヒグマが登場します。テントの外の残飯の処理がいい加減だったのが原因でした。夜中に荒い息遣いと強烈な獣臭、ガサゴソ、ガンゴン、ガリガリという嫌な擬音がいっぱい飛び交って、ソッとテントから覗くとありえないくらい大きな獣の影が・・。

 「エッ・・まさか・・」北海道はキタキツネとエゾ鹿というイメージしかなかったのですが、そう、肝心のエゾヒグマを忘れていました・・。あまりに怖すぎて2人でジッとして何も聞こえない、何も見えない、というスタンスでただただ息を殺して立ち去るのを待ち続けました。

 その後物音がしなくなって立ち去るような音が聞こえてから2人で大騒ぎ、叫んで音を鳴らしながら荷物を適当にフィアットに詰め込んで脱出しました。本当に助かってよかったです・・。

感謝

 北海道から帰ってしばらくして父親が急逝しました。いっぱい話す機会はあったはずなのですが、結局小学生時代のサバイバル訓練についての真意は聞けずじまいでお別れしてしまいました。なんであんなにサバイバルに長けていたのかは今となってはよくわかりません。

 小学生にサバイバルを教え込もうとした真意もよくわかりません。でも当時は大冒険がいっぱいできて、いつも大満足だったのは間違いありません。本当に感謝しています。

その後

 大人になってから免許を取得しました。猟銃・空気銃所持許可証と第1種銃猟狩猟免状です。山に入ることだけは成長しても大好きで、幼いころから親しんできた鹿や猪と対峙する機会も多かったので、どうせ対峙するなら近隣の食害被害を少しでも減らそうと思い取得してみました。

 ハンターが減少しているということも少しは気になっていたので、免許取得後はベレッタを担いで山に入るようになりました。でも、いざ動物と対峙してみたら、自分でも驚いたのですが全く撃てませんでした・・。鹿も猪もテンもウサギも狸も狐も幼なじみみたいなものなので、どうしても撃つことができないのです。このまま銃は引退することになると思います。

 今は銃を持たずに普通に山歩きを楽しんでいます。銃の所持許可は返納して、これからもこんな風に過ごせればいいかなぁと思っています。

リクエストいただいてますので・・最後に・・

ここまでお付き合いいただき読んでいただいた方々には、いつも大変感謝しております。

皆さまから「お前は誰なんだい???」「どこで仕事してるの??」などなど、ちょいちょいお問合わせをいただきますので、最後に少しちょい見せさせていただきます。

会社(沼津不動産BASE)HPのご紹介です

https://numazu.site/realestatebase/

何かしらのご縁がございましたらよろしくお願いいたします。